この佐渡盤収録の「タルカス」だが、全体的に安全運転気味であると感じた。藤岡盤では、過重な負担を強いられた管楽器の不安定な演奏を弦楽器がなんとか支えつつも乗り切った感があったが、このシエナの場合は吹奏楽のオケ、コケたら最後。慎重になるのも無理はないよなあ...などと同情しながら、次のネリベルの「二つの交響的断章」を聴きはじめたのだが、これはなかなかエキサイティング。はじめて耳にする作曲家だったので、すこし調べてみたところ、吹奏楽では有名であり、コンクールでも課題曲としてとりあげられる作曲家であるらしい。CDの解説には、「佐渡にとって、"青春の響き"だったのだ」とあり、その思い入れの深さがうかがえる。
ふむふむ...このCDをリリースした意図が見えてきたぞ。佐渡氏は、このダイナミックレンジの広いネリベルの名作をより高音質に収録・リリースしたかったのだ。タルカスの管弦楽版の人気にあやかれば、割高なSACDでも企画は通るだろう。ついでにバッハの有名な曲も入れとけば、収録時間も問題ないしな...
この佐渡&シエナ版のタルカスは、プログレの吹奏楽版のためではなく、吹奏楽におけるブログレのために製作されたCD....つまり、メインは「タルカス」ではなく「ネリベル」なのだ...
何の脈絡もありませんが、ふと思い出したもので。聴いたことのない人のために、いちおう貼り付けておくことにします。なんでも、この曲は「サラリーマンの単身赴任の悲哀をミュージカル形式で歌ったら、面白いんじゃないか」というアイディアから作られたものらしいです(それにしても、ロックバンドには似つかわしくない題材ですな)。特筆すべきはバンドとオーケストラの掛け合いが実に見事で生き生きしていること。当時の衝撃は忘れられません。考えてみると、これ、20年以上前の曲なんですよね。今聴いても実に新鮮で、全く違和感ないんですけど...
このオーケストラ版タルカス で、特に感銘を受けたのは、最終楽章のアクアタルカス。それまでのあわただしい雰囲気が一転、威風堂々たる歩みが開始される。演奏が安定してきたことも手伝い、おもわず聴きいってしまった。テーマの前半は ショスタコービッチの交響曲第五番 の終楽章のそれを想起させるものがある。みるみるうちに巨大な音の大伽藍が目の前にかたちづくられていくさまは、まさに圧巻。
奇妙なことに、この演奏を聴いたのちに本家本元である ELPのCD をかけてみると、この楽章に関してはオリジナルのほうがオーケストラ化のためのデモバージョン、もしくはオーケストラ版のパロディのように思えてくる。他の楽章については、やはりオリジナルのほうが優れているという考えに依然としてかわりはないものの、この楽章だけは、吉松氏の編曲の方がオリジナルなのではと錯覚するほどの見事な出来なのである。特にボレロが終わりタルカスのテーマが再現されるところなどは、はじめからオーケストラ化されることを予期して作曲されたとしか思えないほどの圧倒的な迫力がある。これは、もはや現代のクラシックではないだろうか。
また、エンディングにも注目したい。私は、あの「21世紀の精神異常者」のそれを想起し、一種の感慨を覚えたものだ。プログレッシブ・ロックの原点ともいえるあの曲とこの瞬間しっかりとリンクしたのだと。
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